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●水色の太陽 第五章 @

記事No.161  -  投稿者 : one
2011/04/26(火)10:49  -  [編集]

第五章

『お日様に恋したお月様』



「じゃあミーティングはここまでだ。…明日試合のある者は十分睡眠を摂るようにな。」

富田はそう言ってミーティングルームを出て行った。それと同時に下級生達がいそいそと今まで座っていた折りたたみ式の椅子や机を片付け出す。三年の誰かが 自分のを畳もうとすると、すかさず一年の誰かが「やります!」と言って奪い取るくらいの勢いで仕事を持っていく。よく仕付けられたものだと夕はつくづく思う。

総体はまさに明日に迫っていた。
夕の学校の、というか富田の陸上部は、こういう大きな大会になると会場がさして遠くなくとも、前日には会場入りして付属の宿泊施設に宿泊して当日に備える。 これは中々有効で、実際かなり良いコンディションで試合に臨めるのだ。
そして、毎年恒例だが、夜には下級生から三年に何かセレモニーがある。それは今年も行われる事は確実だった。
別に直接聞いた訳では無いが、三年の居ない時に一、二年が集まって何かこそこそやっているという目撃情報はいくつもあったし、夕自身もいつか部室に行った時、入った瞬間に前山達が何か隠したのを見ていた。三年の間では、気付いていても言及しない、というのが暗黙のルールになっていた訳だが。

夕達三年陣が部屋に引き上げ、そのコンセントプラグがいくつかあるだけの質素な畳部屋でしばらく話し込んでいると、間もなくして二年が数人部屋を尋ねて来た。
次期キャプテン候補の高島と、前山、それとマネージャーが二人。
「あの〜、先輩方、ちょっと時間良いですか?」
そう言ったのは高島だ。
三年達は本当は予期していたにもかかわらず、不測の事態というような態度を取る。しかし芝居のレベルは最悪。信也などすでにニヤついている。
「お、おぉ、なんか用か?」
キャプテンの中田理貴は引き攣った笑顔で迎えた。実は夕はあまり彼が好きでは無い。悪い奴では無い。寧ろ良い奴で、去年の文化祭であったランキング『Mr.善い人』でも二年の部で一位だった。しかし夕はその『いい人』という性質がどうも苦手だった。

それから一、二年が部屋のドアの陰からどやっと出て来て、贈り物やなんやらといった鼓舞会を開始した。
夕もこれでもかというくらいに喜んでやって、三年の中には泣き出す奴も居て、…やがて下級生達は満足した様子で帰って行った。
…別に嬉しくなかったわけではない。しかし夕の心はいつもと変わらず乾いたままだ。今貰った下級生達のメッセージがびっしり書かれた色紙と、ユニフォームのカラーに見立てたグレーとブラックのミサンガを持ってナカマ達と笑顔で話す自分を、まるで無表情に上から眺めているような気分だ。
不意に、夕はそのへらへら笑う自分自身を殴り飛ばしたい衝動に駆られた。その衝動をぐっと堪えると、それが顔に表れたらしい。
「夕どうした?どっか痛い?」
正面で話していた淳が怪訝な顔で聞いて来た。
「あ、いや、何でも無い。」
夕はそう言うと取り繕うように笑った。
「そう?なんか痛そうな顔してたから。」
淳もそう言って笑顔をみせる。 そんなやり取りをしていたら、信也が 「ちょっと夕、お前の見せろよ!」とか言いながら横から夕の色紙を奪った。夕は最初こそ取り替えそうとしたが、すぐに諦めた。信也は色紙を読みながら「うわ!もはやこれ告白だろ!」とかなんとか言っていた。

そうこうする内にみんな入口に堆く積んであった布団をひいて眠った。
そんな中夕は、なんだかそわそわしてあまり寝付けなかった。それは、試合前の高揚とは、また別の何かのような気がした。

目を閉じるのが怖かった。
目を閉じると、瞼の裏には『あいつ』が出て来て、ただ、じっと夕を見つめる。…『あの眼』を夕に向けるのだ。
あいつ…朝日武人が自分に介在するようになってから、あの夢を見る頻度が極端に増えた。夕は毎夜毎夜怯えながら瞼を閉じる。
あいつが干渉するようになって、自分の中の『あいつ』が呼び起こされてきている。
似てる訳ではない。むしろ共通点は皆無だ。『あいつ』はそこまで仕切りに自分に話し掛けて来なかったし、几帳面でうたぐり深い。でも武人は…。

なんて…二人を比べる事に意味は無い。

そう自覚した時夕は自嘲した。 そしてそのままじっと部屋の天井を見つめていた。


気が付けば朝だった。
いつも思う事だが、いつの間に寝ていたのだろう。眠りに落ちた瞬間の記憶というのは絶対に消えている。不思議だ。
幸いその夜は例の夢は見なかった。いや、見たのかも知れないが、記憶には無い。

枕元に置いた携帯電話を確認すると、時間は早朝5時を回ったところだ。…確か昨日のミーティングで5時半起床だと富田が言っていた気がする。
夕はまだ誰も起きていない部屋の中、自分の荷物から厚手のタオルを一本取り出して、出来るだけ物音を起てないようにその畳部屋を出た。
そっとドアを閉めると、まだ廊下には電気も付いておらず、そこには閑散とした雰囲気が漂っている。
『確か洗面所はこっちか。』
記憶の通りにそのいくつか宿泊室が並ぶだけの短い廊下を歩いた。静かだ。薄暗い廊下をいくらか歩くと、右手に目的地を見つけた。
蛇口がいくつか並んでいて、奥の方にはコイン式の洗濯機とタンブラがある。
夕は右側の壁にあるスイッチを押して電気を付けると、端から三番目の蛇口の前に立ち、その栓を適当に捻った。すると透明な水が勢いよく流れ出す。
しばらく水が流れるのを眺めて、夕はその水を両の掌で掬うと、バシャっと豪快に自分の顔にかけた。
何度かそれを繰り返し、次は洗面台に頭を突っ込んで、後頭部から水を浴びた。
その時、夕の後方で「うわ!」とも「いや!」ともつかない悲鳴が上がった。
夕は少し驚いた。だが、すぐに声でその悲鳴の主は分かったので、気にせず頭を流した。悲鳴の主も、しばらくすると、「なんだぁ、進藤か〜。」なんて失礼な事を言って、パタパタとスリッパを鳴らしながら夕の後ろを歩いて行った。

タオルで頭と顔を拭きながら洗濯機の方を覗くと、案の定そこではともよが洗濯物の取り込みをしているところだった。

「首が無いのかと思ってびっくりしちゃった。台で隠れてたんだもん。」
ともよはテキパキと作業をしながら、夕の方は見ないでそう言った。
「いや、俺の方がビビるよ。いきなり後ろの見えない所で悲鳴あげられんだぜ。」
夕のその呆れ気味に言った言葉に、ともよも「確かに。」と言って笑った。

「一、二年のマネージャーは?」
「まだ起きてこない。…マネージャーが選手と同じ時間まで寝ててどうするんだろうね。」
「言えばいいだろ。」
「こういうのは気付かないとダメなのよ。進藤だって知ってるでしょ?」
「…まぁな。」
「…なんだかこのまま引退するの、心配だな…。」
ともよは大量の洗濯ネットの入った洗濯籠を持って夕の前まで来た。確か昨日マネージャーが集めていた。
「…大丈夫だろ。二年の奴らがしっかりお前の事見てるよ。」
夕は今使ったタオルを首にかけながらそう言った。
「そうだと良いけど。」
ともよはため息をつきながら言う。
二年のマネージャー二人がばたばたとそこに入って来たのはその時だった。
「森口先輩すみません!寝坊しちゃって…。あ!わたし達やります!下さい!」
そう言ってともよの籠を奪って行った。ともよはキョトンとした目で夕を見る。
「…ほらな。」
夕はともよの目を見返して静かにそう言う。
ともよも小さく笑って「ホントだね。」と言った。

しばらくすると選手も続々と起きて来た。みんな顔を洗いに洗面所に行く。夕は他の選手が終わる前に髪のブローを済ませた。
最近夕はこういう大きな試合の時は前髪が邪魔になるので小さなピンで右側半分を留めてしまう。以前ともよが試合の時に前髪をねじって留めていて、ぱっと見は簡単な編み込みのようにに見えてスタイリッシュだったので、自分でも試してみた。
意外に簡単に出来るのでそれから愛用している。

選手は朝食の前に朝練に行くことになっていた。
朝練とは言っても競技場の周りを歩いてから体操をするだけのごく軽いものだ。
身体が起ききっていない起床間もなくに無理な運動をすると、逆に身体の負担になると前に富田が言っていた。だから夕の所属する陸上部には普段朝練をする選手はいない。
その後朝食を食堂で摂って、準備を済ませたら昨日すでに陣取っておいた場所に各々向かう。夕達がいつも使うのは、バックストレートの棒高跳びピット付近、メインスタンドの裏側を通る通路の一番端と、サブトラックの木陰の三点だ。
一年や今日試合が無い二年は選手よりも早くそこに向かって、先にテントを立てておく。



朝一番の競技は4×100mリレー予選だ。メンバーである夕と信也と淳と前山は、全体とは別れてアップを行うことになっていた。競技が始まる前ならメイントラックを使用出来るので、四人はそこに向かう。
「今日暑いかなー。」
拠点となるバックストレートのテントに向かう折、露のかかった芝生を歩きながら信也がぼやく。
「蒸し暑いかも。薄雲だし。」 淳が返す。まだ朝方なので気温こそ高くないが、確かに蒸す感じがある。夕は湿気が嫌いだ。既に気分が重い。
「うへ〜、最悪。蒸した競技場とかサウナだし…。」
「お盆型だもんなぁ。熱篭るから…。」
そんな二人の会話を聞いているうちに、テントに着いた。ふと棒高跳びのピットを見ると理貴が数人の選手と一緒に高跳びのスタンドを組み立てている。理貴は 棒高跳びの選手で、県ではトップだ。とはいえ、棒高跳びは競技人口が極端に少ないため、県外ではあまり良い順位ではないらしい。お人よしの彼は淳や信也に よくいじられていた。
「バトンは?」
「金と銀。」
「だよね。」
淳が聞いて夕がそう答えるのは毎度の事だ。

ジョギング中夕は出来るだけ周りを見ないようにした。理由は、武人を見付けない為だ。
夕はやはり恐かった。
武人といるとなんだか平静を保てなくなるし、何より『あいつ』を呼び起こされる。それに、次出会った時に普通の顔でいられるかも疑問だ。
夕は自分を律して、ただじっと前山の声を待ち、そして押し付けられたバトンを、機械のように淳の掌に宛がった。
何も考えたくない。
今までみたいに、何も考えないように。

そうしてる内に流しまで終わり、「これより開会式を始めます。選手の方は、本部席前に集まって下さい。」というアナウンスが入ったので、切り上げてサブトラックに移動した。リレーメンバーはバトンを合わせなければならないので開会式には出ない。


サブトラックでは既に数チームがバトン合わせをしていた。夕達も荷物をサブトラックのテントに置いて、軽い格好になるとすぐに始めた。最初は前山とだ。
夕達のメンバーは速い者から順に並べると、夕、前山、淳、信也、となる。実はリレーの走距離は、リードの関係で一、三走が短く、二、四走が長くなる傾向がある。その為一般的には速い者は二走と四走に入るのが普通だ。それでも前山を一走に置く理由は、彼の加速力に由来する部分がある。
とは言っても恐らく、ベストの走順は距離の短い一、三走に淳か信也を、長い二、四走に夕と前山を入れた時だろうが、この走順は慣れた走順を大幅に変える必要があったので避けたのだった。

「やっぱり追いつけません…。先輩今日なんかいつもより速いですよ。」
夕達は二回程合わせてみたが、どうもうまくいかなかった。夕の調子が良すぎて今までの距離では前山を置いていってしまうのだ。
「仕方ないな…。二足短くするわ。」
夕は今までの調子から考えてそう言った。リードの距離は自分の足の長さで測るのが普通だ。
「わかりました。」
前山はそう言うと自分のスタンバイ地点に戻って行った。
夕は自分の目印のテープの位置を調整しながら、ちらっと淳と信也のペアの様子を見たが、あっちもあまりうまくいっていないようだ。
少し焦って来た。

夕がスタンバイしていると、前山からOKのサインが出たので、夕も手を挙げてサインを返した。しばらくすると前山が手を挙げながら「3レーン行きます!」と大声を上げるのでそれに「ハイ!」と返事をする。
夕はスタンディングの姿勢で、上半身の力を抜く。脇の間から前山の様子を確認する。今、スタートした。前山が目印に到達するまでじっと堪え、目印を越える一寸先に自分も後ろ足で地面を蹴る。そして加速。

結局前山の声は聞こえなかった。
「スイマセン…。」
息を切らしながら前山はそう謝る。辛いのは毎回50メートル程走る前山だ。これ以上走らせると試合に響くのは目に見えている。
「とりあえずお前もう休め。予選は適当に合わせるから。」
「はい…。」
そう言っている時に調整が終わった淳が来た。
「うまくいかない?」
「ん〜、どうも今日俺が走れ過ぎてて。淳も三足程伸ばしてくれ。」
「わかった。」
そう言うと淳は三走のスタートまで走って行った。
「じゃあ俺、テント戻ってます。」
前山もそう言うと帰って行った。

『追い付かないのはまずいな…。詰まるんならなんとでもなるんだけど…。』
そんな事を考えている時だった。

「あっれ〜?先輩このスパイクいつの間に買ったんすか?むちゃくちゃかっくいーっすね!」

とりあえず驚いた。まったく警戒していないところにそいつは現れた。いつの間にか足元にしゃがみ込んでいる。

「お、お前…。」
「ちわっ!お久しぶりです。つっても二週間も経ってないっすけどね〜。」

武人はそう言って笑った。また、子供みたいに。

「ったく、お前はどっから沸いて出るんだよ。」
夕は呆れ気味そうに言った。
「だって先輩全然気付かないんすもん。どこまで近付いたら気付くかな〜と思いまして。」
足元まで行けました、と言って武人はケラケラと笑う。

二人は二走のコール場所に向かっていた。
競技場の外側を二人で並んで歩く。気の滅入りそうな湿気の中なぜか武人は上機嫌で、下手くそな口笛なんか吹いている。
あの後とりあえず武人を待たせて、淳との調整を済ませた。今度は目測が正しかったようで一度目で綺麗に合い、すぐに切り上げられた。その後すぐ武人がやってきて、「先輩一緒に行きましょ!」と言って来たからそれを了承したのだ。
夕は隣で踊るように歩く長身の男を、なるべく見ないようにずんずんと歩を進めた。
やはりなんとなく直視出来ない。なんだか直視してしまうと、喉の奥の辺りがむずむずして気持ちが悪いのだ。

「それにしても先輩さっきのスパイク、オニューでしたよね。こないだ欲しいって言ってた…、えっと〜…、なんとかって奴っすね!」
「サイバーステルス。なんだよ『なんとか』って。なんも分かってねぇじゃねーか。」
いきなりそんな事を言い出した武人に、夕は侮蔑の目を向けた。

それは以前店で見たシルバーとブラックの短距離専用のスパイク。値段は三万円近かった。あの時は手持ちが無くて買えなかったが、後で父親に頼んだらすんなりとお金を出してくれた。それをつい先週くらいに購入し、しっかり履き慣らしておいたのだ。カラーはユニフォームにピッタリだし、履き心地も値段相応。何 よりデザインが格好良かったので夕はそのスパイクがとても気に入っていた。

「お前もこないだスパイク買ってただろ?あれ、どうなんだ?」
「いやー、ちょっと問題ありです。」
夕は何となしにそう聞いたが、武人は顔を曇らせてそう言う。
「問題?」
「先輩もあれ、幅が広いから靴ずれするかもって言ってたでしょ?…それが今ひどいんですよねぇ。」
「どこだよ。」
「コール場所でスパイク履き変える時に見せてあげますよ〜。」
上機嫌にそう答える。
終止笑顔を絶やさないその朗らかな表情は、夕にとって少し眩しい。

「なんか、暑くなって来たな。」

夕はそう言って顔を手で仰いだ。武人は「そっすかー?まだ涼しいですよ!」と言っていた。


そんな取り留めの無い話を続ける内に目的地に到着した。以前同様、女子のレースが始まりそうだ。
二人はトラック外のタータンに荷物を置くと、隣り合って腰をかけた。
胡座をかくと、膝が当たる。
何となく恥ずかしくて、夕は少し身体をずらした。武人は気に留める様子もなくトラックのそれぞれのレーンに整列する選手の方をじっと見ていた。
「やっぱりセパレートは良いっすねー!へそ出し!」
繰り出されるヘテロの反応。夕は内心少し落胆したが、いつものように適当に話を合わせる。
「そうだよな。しかもセパレート着てる奴は大体カワイイって相場は決まってるし。」
軽く笑いながら答えると、なぜか一瞬武人の顔が曇ったような気がしたが、すぐにまた笑顔になって「先輩も分かってますねぇ!」と言った。そして何か思い付いたように「そうそう。」と言いながら自分のシューズの靴紐を解くと、すぽっと自分の右足を抜いた。
「ちょっと見て下さいよ。」
白いローソックスを脱ぐと、小指の付け根の外側の部分にガーゼが貼ってある。結構でかい。
「痛いのか?」
「こうしておけばなんとかなりますけど、やっぱり無いに越したことはないっすねぇ…。」
「まぁ自業自得だな。適当に決めるのがわりい。」
夕はそう言ってランシャツを脱いで裸になった。そして自分の荷物の中からユニフォームを取り出す。
「あー、先輩ひどいっす!…てか…、やっぱ先輩の筋肉凄いっすねぇ。普段は細く見えるのに。」
そう言って武人はユニフォームを被ろうとする夕の二の腕を人差し指でつんつんと突く。何となく恥ずかしい。夕は黙ってユニフォームに首を通した。
「ねぇ先輩。」
「なんだよ。」
「腹筋触っても良いっすか?」 武人が突然変な事を言い出すので、また夕は呆れ顔を彼に向ける。
「俺の腹筋触ってなんか面白そう?」
「ちょっとだけ!記念に!」
奴はそう言って顔の前で手を合わせた。記念ってなんのだよと思いつつも、別に断る理由も無いので夕は「別に良いけど。」と言って了承した。
「やった!…そんじゃ、失礼しま〜す。」
武人の手が伸びて来て、夕の腹に触れる。そして縦横と動きだす。別に腹なんて触られても何も感じないが、なんか変な感じだ。武人はしきりに「すげぇ〜!」とか言いながら興奮していた。なんにしろ、端から見たら異様な光景である事に間違いはない。

「洗濯物洗えそうですね!」
武人がそんな事を言った時だった。一瞬、武人の指が夕の胸の突起を掠めた。その瞬間、夕の身体はビクンと跳ねた。
もちろん武人はその反応を見逃さなかった。

「え、今のなんすか!?」
武人の顔がにやけだす。夕は自分の顔にどんどん熱が集まって来るのが分かった。
「なんでもない。」
そう言って夕は顔を背ける。
「じゃ、もう一回やらせて下さい。」
「嫌だ。死ねバカ。終わり!もう終わり!」
夕はそう言うと武人の手を振り払ってユニフォームをすっかり着てしまった。
「あー!まさか先輩あれっすか!? 乳首感じるとか!」
「うるさい!死ね!てかお前それ以上なんか言ってみろ。金輪際口聞いてやんねぇからな!」
「アハハ!それは嫌っすね〜。」

実は夕は始めからハラハラしていたのだ。
夕は基本的に脇腹や首筋、足の裏など一般的に人が感じる部分は何も感じないのだが、唯一乳首だけは恐ろしい程に敏感だった。昔から自慰をする時にも触っていたのでその感度は尋常じゃなく、不意に触られようものなら今のように身体が反応してしまう。声だけは出さないように集中していたのでそれは防げたが、普段なら声が出てもおかしくない。
腹筋というから大丈夫かと思いきや、やはり嫌な予感は的中してしまった。

「いや〜、意外なところで先輩の弱点発見しちゃいました。」
武人は上機嫌に笑いながら自分もランシャツを脱ぐ。そこには既に水色のユニフォームを纏っていた。夕達のそれと比べると明らかにお粗末なユニフォームではあるが、その鮮やかな色は武人にとても似合っている。
その時ちょうど女子のレースが始まるアナウンスが鳴った。
「始まりますね!」
そう言って笑う武人の顔は、やはり少し眩しい。夕は少し顔をしかめて「ああ。」とだけ言った。



レースは滞りなく終了した。
懸念されていた前山とのバトンも完璧にはまだまだ程遠いがなんとか通って、それで予選は一位で通過。タイムは42秒後半だった。武人達も組で二位だったので決勝進出を決めていた。
夕は武人を待つ事なく走り終えたらさっさと自軍のテントに戻っていた。
なんだか武人と居ると自分のペースが保てない。


それからは午後の100m予選までずっと暇だった。夕はテントでごろごろしながらチームメイトと喋ったり、他の種目を見に行ったりして時間を潰した。
昼に向かうにつれてお盆状の競技場内の気温はどんどん上昇していき、たまに放送されるグラウンドコンディションでは五月の下旬にも関わらず気温は30度近く、湿度は90%を越えている。いよいよ夕の気分は消沈してきた。

大会の時、夕の昼ご飯はいつも蕎麦だ。蕎麦は消化が速く腹に残らない為、運動時には最適な食料である。
しかもこの不快指数の高さだ。流動食的な麺類でもなければ食べる気も起こらない。
夕は長距離の応援で賑わうメインスタンドの裏側にあたる通路に立てたテントで一人で寂しくその蕎麦を啜っていた。ここが一番涼しい。
夕はストレッチ用のマットを広げて、そこに胡座をかいて黙々と箸を動かしていた。クーラーボックスで十分に冷やされたそれは喉を通る度なんとも言えない爽快感を夕に与える。
近くを通る女達がしょっちゅう夕を見ながら耳打ちしあっていたが、夕はずっと気付かない振りをする。
『俺が一人で蕎麦食ってたらなんかおかしいのかよ。』
そんな半ば開き直りのようなことを考えていた。
その時、夕の隣にドサッと一つのスポーツバッグが投げられた。
驚いて顔を上げると、そこに立っていたのは見覚えのある人物だった。彼は夕と目が合うとニヤっと笑って「おっすゆーすけ!久しぶりやな!」と言った。夕もすぐに笑顔を見せて「来てくれたんですか?寺山さん。」と返した。

寺山恭介。
夕が一年だった頃のキャプテンをやっていた男だ。
種目は棒高跳びで、高校時は県内ではダントツ、近県統合大会でも優勝し、インターハイにも出場した程の選手だった。
猛勉強の果て関西のかなりの難関大学に進学し、それでも棒高は続けているらしく最近もインカレで良い成績を残している。
180cmを越える長身に色黒、筋肉質の身体にとてつもなく長い脚。昔からなぜか夕の事を『ゆーすけ』と呼ぶのは変わらない。
一年の頃からよく可愛がって貰っていて、夕もそれなりに尊敬し、慕ってもいた。

「さっきトミーの所に行ってたんやけどな、嬉しそうに喋っとったで!『進藤は優勝間違いなしだ』とかって。ホンマお前もよう伸びたわ。」
「いや、先輩の指導の賜物ですよ。」
夕はそう言ってアハハと笑った。
「何ゆうとんねん。お前が頑張ったからやで!」
恭介はそう言って夕の隣のスペースに腰掛けた。彼の関西訛りは去年からどんどん進行していって、今ではほぼ完全な関西弁になってしまっている。
「まぁ今はかなり調子良いんで、四冠狙ってくつもりですけどね。」
「っか〜!生意気な!」

しばらく話を続けていると、恭介が夕の後ろ側に移動して来て、脚で夕を囲むように座った。昔からよくこの体勢で座り込む事があって、かなりスキンシップが多い。

夕はなんとなく、恭介は自分の事が好きなのだろう、と思っていた。それは自意識過剰とかそんなものでは決してなく、証拠こそないが、夕はそう確信していた。そういえば恭介がまだキャプテンをしていた時、冬前に付き合っていた彼女とも確か別れていた。
夕も恭介の事は結構好きだった。特別イケメンと言うわけではないが、その常人離れしたスタイルの良さと褐色の肌には男として憧れを抱いていた。
それでも夕は何もしなかった。 その頃はまだ夕の心は『あいつ』で一杯で、新しい恋をすることを固く拒んでいたからだ。
そして今でも、その気持ちは固い。彼がいかに夕を誘惑しようと、夕の心は絶対に揺らがない。

この体勢になると夕は何も言わない。いや、何も言えなくなる。何かを言うと、何かが壊れてしまいそうで、恐くて何も言えなくなるのだ。
対して恭介は依然普通に話し続ける。たまに彼の手が夕の頭や太腿をなでてくる。
夕はただぼーっと恭介の話を聞いて、適当な相槌を打っていた。

しばらくそうしていたら、通路の奥に、また見覚えのある青いシャツの男が立っているのが目に入った。
武人だった。何も持たずに、一人だった。
武人は、なんだか淋しげな目をしてこちらを見ている、ような気がした。実際は遠くてよく分からない。

「あ!寺山さん、すいません!ちょっと…。」
何か話していた恭介を制止し、夕はそう言って彼の緩やかな拘束から抜け出した。
それからもう一度さっきの場所を見たが、…もう武人の姿は消えていた。
恭介が怪訝な顔で「ゆーすけ、どしたん?」と言っていたが、夕はそれに対する適当な相槌がなぜか思い浮かばなかった。


どうしてあいつがあんな寂しそうな顔をする。

別にハッキリと見えたわけでは無い。
そもそもあそこに立っていた人物が本当にあいつだったかすら、今思えば危うい。似たような服を着た似たような背格好の人物だったかもしれない。
しかし夕はそんな不明瞭な記憶にも関わらず、あれが武人であったという事を疑えなかった。
そして、焦りにも似た疑問と、ほんの微かな期待が入り交じったような、そんな得体の知れない気概を抱いていた。

あの後100m予選で夕と武人の会場が同じになっても、武人は夕にいつものようにちょっかいをかけて来なかった。適当な挨拶はして来たが、交流という交流はそれだけで、それ以外はずっといつもの人好きのする笑顔で自分の直属の先輩や同期の奴と喋っていた。
別に大して落ち込んでる風でも無いし、『仲が良い』と言うわけではないから、他校の先輩である自分から奴に話かけるのは何だか気恥ずかしくて出来なかった。

この日はそのまま終了となり、一同は宿舎に帰った。
宿舎は寝泊まりが出来るだけの簡素な物だったので、食事は近くのファミレスに行って食べる事になっている。
ずっと試合を見ていてくれた恭介もそこに飛び入り参加して居て、レストランのテーブルは大学の部活動の辛さの話で大盛り上がりだった。
夕も相応に話に参加していたが、そんな時もさっきのあいつの顔を忘れられないでいた。

食事が終わると一同は近くの銭湯に行く。
その銭湯は風呂の種類は多いしサウナも三種類くらいあってかなり良い銭湯だった。夕の学校の近くには同じ値段で風呂もサウナも一種類しかない銭湯があるので違いは一目瞭然だ。
しかし夕はあまり銭湯が好きではなかった。別に裸の男ばっかりでいたたまれないからではない。選手達の裸などいつも見慣れているので、今更別段興奮するようなものではない。ただ、誰が入ったか分からないような湯に浸かる事に少し抵抗を感じるのだ。それを部員に前言ったら「神経質だな〜。」と言われた。

券売機の『大人』と書かれたスイッチを押すと、小さなチケットが落ちてくる。同時に、ジャラジャラと小銭がチケットとは別のブースに落ちて来た。夕はその小銭を集めて財布に入れると、チケットを持って受け付けに向かった。
受け付けでは壮年の女性がニコニコしながら対応をしていて、夕が無言で差し出したチケットを確認すると、「男湯は右手になります。ごゆっくり。」と言ってブレスレット式の鍵と交換してくれた。

脱衣所に入ると既に部員の何人かは服をぬいで風呂に向かおうとしていた。
やはりこうして見ると、一年はまだ肉付きが緩く、中学の延長と言った感じを受ける。打って変わって二年はほとんどがしっかりとした筋肉を付けていて、三年 と遜色無い者もいる。前山などは去年は胸も腹もぺらぺらだったが、今では部内で夕に次ぐ程だ。一年間のトレーニングでこれほどまで変わるのか。
夕がそう半ば感心していたら、後ろからコツンと頭を小突かれた。
振り向くと恭介が立っていた。
「ゆーすけ、なんやぼ〜っとして。」
恭介はそういうと自分のカゴをどさっとロッカーの上に置いた。夕のすぐ隣だ。
「先輩、風呂道具まで持ってたんですか?妙に用意良いですね。」
「どうせ来ると思ってな、念のため準備しといた。」
着ていたポロシャツを豪快に脱いで、恭介は言った。
「そんなに銭湯好きですか?…俺はあんまり好きじゃないですけど。」
夕もそう言って上に着ていたTシャツを脱ぐ。
「なんでやねん。楽しいやろ、大勢で風呂入るんは。」
恭介は次にジャージのズボンをさっと脱いだ。パンツは紫と黒のローライズのボクサーだった。かなり際どいが、思わず見とれてしまう程、その恭介の毛の薄い褐色の長い脚に似合っている。恭介が下着に手をかけた時、夕は咄嗟に視線を自分のロッカーに戻した。
「だって銭湯とか基本おじさんの使用率が高いでしょ?角質とか浮いてそうで恐いじゃないですか。」
「そんなん一々考えとるんか〜?どうでもええやん。…ほな先入っとるでー。」
恭介はタオルを腰に巻きながら、夕の後ろを歩いて行った。後ろ姿を見ると、腕や脚と同じ色をした小さな尻が見えた。夕は一人、自分の下半身に危機感を覚えた。
『頼むから反応してくれるなよ…。』
心の中で夕は自分自身に懇願する。


風呂場の磨りガラスの扉を開けると、石鹸のほのかな香りを孕んだ熱気が夕を包む。そこは大はしゃぎした部員達で賑わっていた。よく見ると夕達とは違う学校の選手も居る。しっかりタオルでガードしてる奴が1番多いが、たまにぶらぶらさせた奴もいる。そういう奴は自慢なのか確かに大きい。
夕もタオルでガードしながら、まずは洗い場に向かった。五列に跨がるシャワーブースを歩いていると、調度身体を洗っている恭介を見つけた。横に座るのは少し恐ろしい気がしたので別所にしようかと考えていたのだが、鏡越しに恭介と目が合ってしまった。
仕方なく内心どぎまぎしながら隣に座って自分のカゴを正面の鏡の前にあるスペースに置くと、シャワーの摘みを捻った。豪快な水音と共に温かい湯が降り懸かる。目の前の湿った鏡には、冷めた男の顔が映っていた。

夕は自分の顔が嫌いだ。なまじ整われているから、面倒な事は多いし、愚かな事とは知りながらも馬鹿な自負を抱いてしまう。外見の美しさは内面を汚くする。
実際、外見が良い事は社会にとってプラスになる事ばかりでは無い。この不都合な世の中だ、汚い羨望とひがみはその辺にありふれている。

「ゆーすけ、シャンプー貸してくれ。」
じっと鏡の中の自分を睨んでいた夕だったが、恭介の声に我に返った。「あ、はい。」と言ってシャンプーをカゴから取り出して恭介に手渡した。
「サンキュー。ってなんやこれ、見た事ないわ。なんのシャンプー?」
「俺の母さんの会社の製品ですよ。化粧品の会社なんです。」
「ぇ、じゃあ結構高いんちゃうんか?ええんか使って。」
「全然良いですよ。家に何本もあるんで。」
「マジでか!…お前結構セレブやなぁ。」
「ハハ、別にそんなんじゃないですよ。」
夕はそう言うとカゴから洗顔料と泡立てネットを取り出した。これらも母親の会社の製品だ。夕は昔から皮膚が弱く、市販の物を使うとすぐに肌が荒れてしまう。それを憂えた母親が、自社の製品を夕に与えているのだ。
「なんかあんまり泡立たんな〜。」
夕が洗顔料を泡立てていると、シャンプーをしている恭介が言う。夕はその時まじと恭介を見てしまった。髪を擦る度にぴくぴくと動く胸筋が目に入る。背中からヒップにかけてのライン。そこからすらっと伸びる脚。パンと水を弾く若い褐色の肌。どれもがセクシーだ。陰部は腿にかけたタオルが隠しているが、そこか ら少しはみ出した陰毛が堪らなくエロい。
夕はまたさっと視線を前に戻して、「あー、二回やって下さい。」平静を装ってそう言った。
「そういうもんなんか?」
恭介は怪訝に言う。


ひとしきり身体を洗い終えてから、夕は露天風呂に向かった。風呂は嫌いとは言ったが、露天風呂は結構好きだ。涼しい外気の中で浸かる温かいお湯はとても気持ちいい。

露天に続く引き戸を開けると、さっき風呂場に入った時とは逆に、夜の匂いを含んだ涼しい風が身体に当たる。そこには高島と前山が居て既に湯に浸かっていた。後ろから見ると、二人とも肩と背中の色が全然違う。見事なユニフォーム焼けだ。この二人は夕が1番目をかけて指導してきた奴らだ。
二人は夕に気付くと、はにかみながら小さく会釈をした。
「なんだよお前ら俺の露天に先に入りやがって。汚くて入れねぇじゃねえか。」
別にそんな事は思ってもいないが、冗談めかして言ってみる。それに「え〜!それは無いですよ!」と前山は大袈裟に反応するが、高島は苦笑いを浮かべるだけだった。
夕は二人の正面に浸かって空を見た。気持ちばかりに四角く切り抜かれた天井から、四角い夜空が覗く。日中には雲ばかりだったが、今では星が見える程に晴れている。明日は晴れか。
夕がそうしばらく嘆息していると、前山が思い付いたように切り出した。

「あ、先輩、そういえばここにさっき朝日が居ましたよ。『サウナ行く』とか言ってさっさと出てっちゃいましたけど。」
夕は始め前山が何を言っているのか分からなかった。しかしすぐに理解し、理解した時に、嬉しさとも焦りともとれないよく分からない感情が圧し上がって来た。
確かに、武人の学校はここの近くだ。武人の地元は聞いたことは無かったが、この周辺ということは十分考えられる。しかしこの日に限ってわざわざ銭湯に来ようとは、到底偶然の沙汰とは思えない。
「朝日?…ふ〜ん。」
夕はわざといかにも興味なさ気な返事をした。
胸がざわつく。あいつは自分の存在に気付いているのだろうか。今サウナに向かえば、裸のあいつに会えるのだろうか…。
想像しそうになって夕はその白く濁った湯を顔にパシャッとかけた。垂れて来た前髪を掻き上げる。
「会いに行かないんですか?」
前山がキョトンとした顔で尋ねてきた。夕はその言葉に少し戦いたが、平静を装って前山を見た。
「なんで?」
それが睨んだように見えたのか、前山はいつものように大袈裟に反応してみせる。
「いや!…なんか、先輩仲良さそうだったんで…、なんとなく…。」
仲が良い?俺と武人が?
「そう見えるのか?」
夕は声のトーンを落とした。
「えっ、あの、えっとぉ…見えると言えば…見え、ます…。」
前山は見るも無惨な程にきょどっている。高島は横でその様子にくすくす笑っていた。
「きょどんな、うぜえ。」
夕はそう吐き捨てて立ち上がった。すぐにタオルを腰に巻く。
「えーっ、スイマセン!…ってか、何処行くんですか?」
「サウナ行けっつったの誰だよ。」
夕はそう言ってまた前山を睨み付けた。前山は青い顔をして「…スイマセン…。」と言って湯に顔を半分沈めた。

三つあるサウナを最初窓から一つ一つ中を確認してみたが、窓が小さすぎたり蒸気が酷かったりでよく分からなかったので、まず「塩サウナ」と書かれた木造の 扉を開けて、むしっとした熱気で充満したその小さな部屋の中に入った。中には10人弱の人が居て、何人か後輩や同級生が居たが、あいつの姿は無い。夕はすぐに部屋を出た。そして、次に「スチームサウナ」と標識の掛かったガラス製の扉を開けた。
中は蒸気で何も分からない。分かるのはその部屋が正方形である事と、扉のある側以外の三辺に跨がる椅子に数人の人が座っている事だけだ。むあっとしていて息をするのも辛かった。そこに入った瞬間に身体中の汗腺が開いたのが分かる。

とりあえず夕は入口から見て右側の椅子に座った。椅子は木造で部屋の壁と一体化しており、熱くないように厚手のタオルがひいてある。
夕は膝にタオルをかけ、腿に肘を立てて頭を手で支えた体勢でいた。その体勢のままじっと下を見ていた。汗が鼻のてっぺんからポタポタと垂れるのが見える。
しばらくそうしていると、一人、また一人と人が外に出ていく。扉を開けた時に入って来る外界の空気が涼しくて気持ちがよい。
そろそろ出ようか。
そう思った時だった。誰かがドカッと夕の右隣に腰掛けた。

「ふ〜、暑い。ってか、二人っきりっすね。」

そいつはそう言った。
ゆっくり顔を上げると、あいつが居た。いつにもない大人びた表情で、じっと前を見ていた。その水に濡れた身体と上気した奴の横顔には、男性特有の美しさがあった。夕はその艶かしさに思わず一瞬魅入ってしまった。
「よ、よぉ。武人か。さっき前山がお前が来てるって言ってた。」
平静を装う。内心は、何だか暖かいような、むず痒いような、そんな気持ちだったが。
その時は回りには誰もおらず、確かに二人きりだった。武人は両手を後ろに付き、身体を投げ出すような体勢で座っていた。しかも、タオルは首にかけていて、 下半身は全く隠す様子が無い。スチームがあるとは言え、ま隣に座られれば鮮明に見えてしまう。茎は長く垂れ下がり、完全に剥けた亀頭の先は今にも椅子に触れそうだ。デカイ。めちゃくちゃ、デカイ。夕の額を嫌な汗が流れる。
「先輩。」
武人が口を開いた。少しトーンが低い。
「なんだよ。」
夕がそう言うと、武人は少し考える素振りを見せた。「ん〜。」と唸っている。
「何?」
少し強めに催促した。
しかし武人は「いや、やっぱいいっす。」と言ってそっぽを向いてしまった。夕は少しいらついた。
「よくねぇよ。気になるから言え。」
「え〜、ハズイっす。」
そう言うと武人は椅子に対して水平に仰向けに寝転びだした。脚をこっちに向けているので横を見たらもはやまる見えと言った状況だ。流石にその光景には夕の下半も首を擡げ始めた。これはマズイ。夕はまた前を見る。
「ハズイ事なのかよ。ってか、お前少しは隠せ!きたねぇんだよ!」
「えー?汚いって酷いっすねぇ。自慢の息子なのに。」
武人は頭の後ろで手を組んで、天井を見ている。恐らく真っ白な光景が広がるだけだろう。
「なんの話だよ…。」
夕は呆れ気味にそう言った。



しばしの沈黙、そして、やっと武人は口を開いた。

「あの人、誰っすか?」

唐突過ぎて全く意味が分からない。
「あの人?どの人だよ。」
夕は怪訝な表情で武人の方を見た。しかしそこには武人の巨大なあれがあって、夕はまたすぐに視線を戻す。
「あの人っすよ…。今日先輩の後ろに座ってた…。さっきも隣でシャワー浴びてたじゃないっすか。」
そういえばすっかり忘れていた。武人はあれを目撃していた。…やっぱり何かしら思う事があったらしい。というか、シャワーの時も見ていたのか。
「あ?寺山さん?あの人は俺の二個上の先輩だよ。先々代のキャプテン。」
「仲良いんすか?」
武人が何故こんな事を聞いてくるのか分からない。これではまるで…。
「良いっていうか、普通だよ。よく世話になってるけど。…んで、それがどうしたんだ?」
「…」
武人はいきなり押し黙った。
「おい。」
「俺、あの人嫌いです。」
天井を見つめながら、武人はつぶやく。
「はぁ?いや、寺山さんは悪い人じゃねぇぞ?」
夕は少し憤慨した。少し下心は見えるが、信頼している先輩だ。尊敬もしている。
「理由なんか無いっす。ただ、なんか嫌なんですよ。先輩もあの人には注意した方が良いっすよ。」
武人はそう言うと起き上がった。
「俺、そろそろ上がります。脱水症状起こしちゃいそうです。」
「待てよ、どういう事だよ。寺山さんの事なんも知らねぇくせに、なんでんなこと言えんだよ。」
夕は立ち上がりながら出ていこうとする武人の腕を掴んだ。汗でしっとりと濡れている。武人は驚いた様子だった。
「いや、ホントに直感です!何とな〜くそう思っただけで。ただの戯れ事だと思って聞き流しといて下さい。」
そう言ってにししと笑う。夕は釈然としないまま武人の手首を離した。
「気分損ねたんならスイマセン。でも、俺、思ったことは言う事にしてるんで…。」
「うぜえ。」
夕は少し俯いてそう言った。
「じゃ、俺、先に出てますね。」
武人はそう言うとガラスの扉を開けて出て行った。形の良い尻が左右に揺れていた。

夕はしばらくの間、先程武人に言われた言葉を反芻すると、少し目眩を感じたので出る事にした。少々長居し過ぎたようだ。


銭湯を出る時、ロビーでジャージ姿の武人が待っていて、コーヒー牛乳の便を片手に夕のところにやってきた。
「先輩、明日はまた頑張りましょうね!俺絶対100m決勝出ますから!そんじゃ!」
それだけ言って踵を返した。しかし、数歩歩くとまた振り返り、「先輩のチンコ、かわいっすね!」とか言う爆弾を残して行った。回りには恭介やたくさんの部員が居たので、大いに笑われて酷く恥ずかしかった。
「俺のは普通だ!お前のがデカすぎんだ馬鹿野郎!!」
夕は顔を真っ赤にしてそう叫んだが、逆にもっと笑われたということは、言うまでもない。

それにしても、いつの間に見られていたのだろう。夕はその夜、そればかり考えていた。


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