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秦汰編G「カテゴライズする殴り合い」


記事No.117  -  投稿者 : Telecastic  -  2009/08/27(木)13:40  -  [編集]
 空にぽっかりと浮かぶ丸い月が、柔らかな光を降り注いでいる。街灯に照らされて街道沿いに植えられた木々が影を作り、柔らかな風を受けて木の葉がざわめいた。晴樹はいつかと同じようにそれをぼんやりと眺めながら、子供の様に小さい歩幅でゆっくりと帰路に着いていた。
 確か、あれは一ヶ月程前の話だった。向かいの部屋の男に告白されて、いきなりキスされて…。同じように、他の部屋の女性とキスをしているところを目撃されてしまい、軽い修羅場になったり。ここ一ヶ月は本当に晴樹にとっても激動の時間だった。何もかもが未知数、何もかもが不安で一杯だった。
 秦汰との時間はとても心地良い。お互い本当に自然で、リラックスできる時間を作れるし、もし秦汰が自分に対して友達という感情しかもっていなければ、間違いなく親友になっていた事だろう。正直その関係の方が、有難いし、気が楽だ。
 …だが、というのは、今回はやめておこう。晴樹はそっとその考えを胸にしまう。これ以上考えてしまえば、きっと抜け出せなくなる。たとえ腰抜けで、自己防衛の為に相手を傷つける最低な人間になったとしても、晴樹は自分を肯定した。そして晴樹はここにきて初めて、自分を卑下した。

「よお」
 玄関の扉を開けると、早々にルームシェアをしている中で一番見たくない顔が現れる。
「…ただいま」
 晴樹はつっけんどんにそう言って、さっさと二階へ上がっていく。武は、そんな晴樹を意味深な目で見つめるだけで、何も言わなかった。
(…秦汰、怒ってるかな…)
 廊下に立ち、秦汰の部屋の様子を見たが、物音一つせず、明かりもついていなかった。やはり約束を破られた事を怒っているのだろうか?だが晴樹は、それよりももっと残酷な事を言ってしまいかねない自分を制する為に、今日のところはそっとしておこうと思った。静かに自分の部屋のドアを開けて、そっと閉める。明かりを点けると、無機質で質素な自分の部屋が浮かんだ。
「おかえり」
 晴樹は床に寝転がって天井を見つめている秦汰を見て呆然としてしまった。
「……何やってるの」
 秦汰が自分の部屋にはいってきたことはない。彼はプライバシーというものを非常に大切にするので、許可があっても特に用がないので、と晴樹の部屋に頑なに入ろうとしなかった。その原因はきっと、晴樹にある事は晴樹自身わかっていた。
「…今日さあ、泣いちゃって」
 秦汰は暫く黙った後、そう呟きながらゆっくりと起き上がる。「泣いちゃって」、という言葉に軽く体が反応した。
「ほんとに、ドラマみたいって思ったけど。武とか、柊…の前ですごい泣いちゃってさあ。恥ずかしかったよ」
 まさか、感づいているのだろうか?それとも、約束を破られたショックで…?いずれにせよこれは、正念場というやつだろう。晴樹は仕方なく、腹を括った。
「…ごめん。ちょっと、考えたい事があってさ」
「………うん、わかるよ」
 小さく、そして苦々しく呟く。用事で破った訳ではないことは、もうばれているようだ。晴樹は秦汰の顔を見る。秦汰は何かを顔に出す事なく、静かに床を見つめていた。こういう時の秦汰は、怖い。
「………」
 晴樹は何を言えばいいのか全くわからず、暫く黙っていた。こういう時、どうすればいいのだろう。今までずっと人と上辺だけの付き合いしかしてこなかったから、検討もつかない。
「…由美香ちゃんとのデートは、どうだった?」
 晴樹はそれを聞いてドキっとする。そして、えっと小さく出した声が予想以上に震えていて、体も焦った反応を見せる。まるで、浮気を言及される夫のような気分になった。
「…見てたの?」
「そりゃ、待ち合わせ場所付近で歩いてたら、目撃するだろ」
 秦汰の声には大量の棘が含まれている。その一つ一つが、晴樹の柔らかな部分へと鋭く突き刺さる。こういう時、必ず晴樹はムッとなって言い返してしまう。そして、秦汰との関係がこじれるのだ。晴樹は、今回はとりあえず自分に非があるので冷静になろう、と自分を落ち着かせた。
「…ごめん。別に、浮気とかそういうつもりじゃなくて」
「やめて」
 晴樹の謝罪を秦汰が強い口調で遮る。晴樹は少しムッとなった。
「そんな風にちゃんと謝られたら、どうすればいいかわかんない…」
 秦汰は顔を蹲らせる。どうやら晴樹の行動は裏目にでてしまったようだ。晴樹は慌ててフォローに入る。
「いや、違うんだって。確かに、約束を破ったのは俺が悪いしさ、それに、当日来させておいて。そういうので、悪かったって思うから謝った訳で、別に由美香ちゃんが本気とか、そういうんじゃないって言いたいんだよ。大体、ルームシェアしてる女の子の妹と、浮気なんてするわけないだろ?」
「…俺は男だよ」
 秦汰のギラリと研ぎ澄まされた瞳が、晴樹の瞳を焦がす。こういう時の秦汰は本当に、容赦がない。
「ルームシェア相手の妹だって、越えるかもしれない。…それに、浮気じゃないって言うのなら、何で腕組んで歩いたの?どっちにしても、だらしなさすぎる」
 晴樹はうっと押し黙ってしまう。こんな状態になるのは、本当に久しぶりだった。
「……別れよう」
 秦汰がポツリ、と呟く。その言葉に、晴樹は素っ頓狂な声を出した。
「え?」
「別れよう。俺、このまま晴樹とお試し付き合いなんてしてたら、晴樹の事傷つけてしまうし。…そういう事だろ?」
 秦汰は晴樹の目を見つめる。その瞳は、先ほどとは打って変わって弱々しい光を持ち、今にも壊れてしまいそうな繊細な輝きを放っていた。
「…晴樹はやっぱり、男と付き合うなんて無理だったんだよ。正直、俺から見ても由美香ちゃんと一緒にいる時の晴樹の方が自然っていうか、お似合いだったし。…女の子と一緒の方が、もっと有意義な時間を過ごせると思う。…俺は、生まれた国を間違えただけだよ」
 そう言って自虐気味に笑う秦汰に、晴樹は人生三度目の憤怒をした。
「ふざけるな!!!!!!」
 秦汰の胸倉に掴みかかり、引っ張って立たせる。晴樹の怒号と凄まじい怒りの形相に、秦汰は唖然としていた。晴樹は、感情を抑えきれず、言葉にもできず、思わず飛び出そうとする手を止めるので精一杯だった。
「…秦汰、殴り合おう」
 だが、止めるのもそろそろ限界らしい。晴樹はとりあえずそれだけ言う。秦汰はえ?と小さく聞き返したが、その声が終わる前に晴樹の右拳が秦汰の頬にぶつかった。
 秦汰の細くひ弱な身体はその勢いを受けて思い切り後ろに下がり、背後の壁においてあったクローゼットに背中をぶつける。口を開いた状態でパンチを受けたので、舌を噛んでしまったらしい。唇から血がうっすらと零れてくる。
 しかし尚も、秦汰は手を出してこない。ただ、何が起こったのかわからない、という表情で晴樹を見つめるのみだった。晴樹はずかずかと秦汰の方へ歩み寄り、また胸倉をつかんで今度は床にたたきつけた。秦汰の身体はいとも簡単に背中を打ち、小さく呻き声をあげる。そこに覆いかぶさるようにして、晴樹はもう一度秦汰の頬を右拳で殴った。
 もう一発。もう一発。拳を遮ろうとする両手をすり抜けて右拳と左拳を交互に入れる。畳み掛けるように、もう一発殴ろうとしたその刹那。秦汰の瞳が、獰猛な獣のような鋭さを持って光ったのを、晴樹は目撃した。瞬間、晴樹の体の動きが止まり、ゆっくりと床に沈んでいく。
「……股間はいくらなんでも、ないだろ…」
 苦虫を噛み潰したような小さな声で呟く。秦汰は鋭く入れた左膝を宙に浮かしたまま、あ、ごめんと言った。何か男性に恨みでもあるのだろうか?そう思えるほど容赦のない一撃だ。晴樹は股間を押さえたまま、あふれ出る脂汗を床のカーペットで拭いた。
「……でも俺も痛いよ。こんな風に人に殴られたの、はじめてだし」
 しばらくして秦汰がそう言う。起き上がり、腫れ上がった両の頬を優しく撫でていた。唇から溢れる血が一筋の雫となって零れ落ちる。秦汰はベッド付近にあるティッシュをとって、それを拭いた。
「…はじめてだよ」
 晴樹のその呟きに、秦汰は最初気付かなかった。晴樹はもう一度、今度は大きな声で言う。
「はじめてだよ」
 今度は気付き、こちらに視線を送ってきた。晴樹はまだ治まらない痛みを堪え、ゆっくりと言葉を続ける。
「はじめてだ、人を自分から殴ったのも、人の約束をこっちから破ったのも」
 今まで、ずっと自己防衛に徹してきた。人との約束は守り、人を傷つけないように生きて、自分を傷つけてきた人間だけを排除する。そうする事で晴樹の心は守られ、穏やかな日々を提供してくれた。だが、秦汰と会ってからはそれが何もかも変わった。秦汰は自らこちらの懐に飛び込み、時に傷つけ、時に慈しみ、晴樹の心を大いにかき乱した。それに戸惑っていた晴樹はいつの間にか自分の中に作っていた殻を全てはがされ、自分の心の周りにある薄い膜を、その最後の砦まで破壊されようとしていた。
 そんな矢先に。秦汰は驚く程あっさりと、そして単調に「別れよう」と呟いた。晴樹はそれが許せなかった。気がついたら、秦汰を殴ってしまっていた。
 そこでふと気付く。晴樹にとって、秦汰はもう、大切な存在なのだ。いや、最も大切な存在になろうとしている、というべきか。こんな風に自然に、時に不自然に様々な手段で殻をやぶってくれるような人間とは、今までの人生で一度も出会ったことがない。秦汰との時間は本当に刺激に溢れて、衝撃的な事ばかりだった。そのどれもが、不安や恐怖もありつつも、輝きを放っているように感じる。怒り、混乱し、喜び、楽しみ。あらゆる感情を一度に経験した。そして、その感情の渦中で、のびのびと身体を伸ばし、堪能する自分がいた。
「…お前は俺のはじめてだよ、秦汰。だから、お試しなんてやめよう」
 男性とか、女性とかじゃない。年下でも、年上でもない。「人間」というカテゴリにおいて、俺は秦汰が好きだ。晴樹はその感情に何の疑いもなかった。だが、どうしてもそこから奥に踏み入る時、「男性」というカテゴリが邪魔をした。やはり同性愛というのはとても難しく、性行為に及んでも「友達とのマス掻き」のイメージが頭から離れない。そして気がつけば秦汰を友達扱いしている自分がいる。ちょっと特別な、親友のような。
 それが、沼の中を手探りであるいているような気持ち悪さを晴樹に感じさせ、晴樹はそれをキッチリしようと、約束を急遽破り、約束の三十分前くらいに電話をかけてきた由美香とのデートを決行した。彼女と過ごした時間は何も無理がなく、自然で、楽しく、そして穏やかなものだった。
 このまま由美香と結婚して、子供を作り、養って暮らしていく自分の人生を、晴樹は容易に想像できる。だが、秦汰との生活は全く、その一片すらも想像がつかない。もしかしたらアフリカの部族に混じって暮らしているかもしれない。アメリカでちょっとしたセレブな生活をしているかもしれない。そして日本で、穏やかな一生を過ごすのかもしれない。
 それは晴樹の心を躍らせる程魅力に満ちた人生だ。感動する程に刺激に溢れた、「生きる」という事を堪能する生活だ。それを、由美香と暫く過ごして痛感した。そしてそう考えた時、秦汰の「男性」というカテゴリは…
「御堂 秦汰さん、俺と正式に付き合ってください。」
 秦汰はぽかーん、という表情をした。晴樹は照れくさそうに俯き、ゆっくりと手を伸ばす。その手はまだ治まらない股間の痛みに少し震えていた。晴樹はとんでもなく情けない今の自分の姿に秦汰が苦笑しないものかと思ったが、秦汰は唖然としているようだった。
「…俺でいいの?」
 小さく、そう聞き返す。晴樹は顔を上げた。そこには繊細で、今にも崩れ去りそうな弱々しく、しかし強く生きていく秦汰の姿があった。
「お前さ、ずっと俺の事、考えてくれていたよな。…俺との関係をどうしていこうかとか、自分のこれからの事とか、生活の事とか、色んな事をさ。俺が、お試しだのなんだのって決まり悪い関係を作っても、お前は苦しみながら俺に付き合って、俺の自分勝手で優柔不断な態度に振り回されても笑ってさ。それで…」
 秦汰の表情は、さらに愕然としたものになる。
「…俺が、お前を裏切っても、お前は…」
 晴樹はあふれ出る涙を止める事ができず、嗚咽を漏らして言葉を止めた。秦汰は静かに言葉を待ったが、晴樹はこれ以上何か言うことができなかった。やがて秦汰はゆっくりと晴樹の手を握る。晴樹はその手を引っ張り、秦汰の身体を抱きしめた。
「ごめん…俺、自分ばっかり守って…秦汰の事傷つけて…ほんとごめん」
 そう繰り返し呟く晴樹に秦汰は何も言わず、ただ、抱きしめ返すのみだった。

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作者  Telecastic  さんのコメント
アラジンのミュージカルやりたい

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