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水色の太陽 第5章 『お日様に恋するお月様』一-上
記事No.118 - 投稿者 : one - 2009/09/06(日)22:20 - [編集]
「じゃあミーティングはここまでだ。…明日試合のある者は十分睡眠を摂るようにな。」 富田はそう言ってミーティングルームを出て行った。それと同時に下級生達がいそいそと今まで座っていた折りたたみ式の椅子や机を片付け出す。三年の誰かが自分のを畳もうとすると、すかさず一年の誰かが「やります!」と言って奪い取るくらいの勢いで仕事を持っていく。よく仕付けられたものだと夕はつくづく思う。 総体はまさに明日に迫っていた。 夕の学校の、というか富田の陸上部は、こういう大きな大会になると会場がさして遠くなくとも、前日には会場入りして付属の宿泊施設に宿泊して当日に備える。 これは中々有効で、実際かなり良いコンディションで試合に臨めるのだ。 そして、毎年恒例だが、夜には下級生から三年に何かセレモニーがある。それは今年も行われる事は確実だった。 別に直接聞いた訳では無いが、三年の居ない時に一、二年が集まって何かこそこそやっているという目撃情報はいくつもあったし、夕自身もいつか部室に行った時、入った瞬間に前山達が何か隠したのを見ていた。三年の間では、気付いていても言及しない、というのが暗黙のルールになっていた訳だが。 夕達三年陣が部屋に引き上げ、そのコンセントプラグがいくつかあるだけの質素な畳部屋でしばらく話し込んでいると、間もなくして二年が数人部屋を尋ねて来た。 次期キャプテン候補の高島と、前山、それとマネージャーが二人。 「あの〜、先輩方、ちょっと時間良いですか?」 そう言ったのは高島だ。 三年達は本当は予期していたにもかかわらず、不測の事態というような態度を取る。しかし芝居のレベルは最悪。信也などすでにニヤついている。 「お、おぉ、なんか用か?」 キャプテンの中田理貴は引き攣った笑顔で迎えた。実は夕はあまり彼が好きでは無い。悪い奴では無い。寧ろ良い奴で、去年の文化祭であったランキング『Mr.善い人』でも二年の部で一位だった。しかし夕はその『いい人』という性質がどうも苦手だった。 それから一、二年が部屋のドアの陰からどやっと出て来て、贈り物やなんやらといった鼓舞会を開始した。 夕もこれでもかというくらいに喜んでやって、三年の中には泣き出す奴も居て、…やがて下級生達は満足した様子で帰って行った。 …別に嬉しくなかったわけではない。しかし夕の心はいつもと変わらず乾いたままだ。今貰った下級生達のメッセージがびっしり書かれた色紙と、ユニフォームのカラーに見立てたグレーとブラックのミサンガを持ってナカマ達と笑顔で話す自分を、まるで無表情に上から眺めているような気分だ。 不意に、夕はそのへらへら笑う自分自身を殴り飛ばしたい衝動に駆られた。その衝動をぐっと堪えると、それが顔に表れたらしい。 「夕どうした?どっか痛い?」 正面で話していた淳が怪訝な顔で聞いて来た。 「あ、いや、何でも無い。」 夕はそう言うと取り繕うように笑った。 「そう?なんか痛そうな顔してたから。」 淳もそう言って笑顔をみせる。 そんなやり取りをしていたら、信也が 「ちょっと夕、お前の見せろよ!」とか言いながら横から夕の色紙を奪った。夕は最初こそ取り替えそうとしたが、すぐに諦めた。信也は色紙を読みながら「うわ!もはやこれ告白だろ!」とかなんとか言っていた。 そうこうする内にみんな入口に堆く積んであった布団をひいて眠った。 そんな中夕は、なんだかそわそわしてあまり寝付けなかった。それは、試合前の高揚とは、また別の何かのような気がした。 目を閉じるのが怖かった。 目を閉じると、瞼の裏には『あいつ』が出て来て、ただ、じっと夕を見つめる。…『あの眼』を夕に向けるのだ。 あいつ…朝日武人が自分に介在するようになってから、あの夢を見る頻度が極端に増えた。夕は毎夜毎夜怯えながら瞼を閉じる。 あいつが干渉するようになって、自分の中の『あいつ』が呼び起こされてきている。 似てる訳ではない。むしろ共通点は皆無だ。『あいつ』はそこまで仕切りに自分に話し掛けて来なかったし、几帳面でうたぐり深い。でも武人は…。 なんて…二人を比べる事に意味は無い。 そう自覚した時夕は自嘲した。 そしてそのままじっと部屋の天井を見つめていた。 気が付けば朝だった。 いつも思う事だが、いつの間に寝ていたのだろう。眠りに落ちた瞬間の記憶というのは絶対に消えている。不思議だ。 幸いその夜は例の夢は見なかった。いや、見たのかも知れないが、記憶には無い。 枕元に置いた携帯電話を確認すると、時間は早朝5時を回ったところだ。…確か昨日のミーティングで5時半起床だと富田が言っていた気がする。 夕はまだ誰も起きていない部屋の中、自分の荷物から厚手のタオルを一本取り出して、出来るだけ物音を起てないようにその畳部屋を出た。 そっとドアを閉めると、まだ廊下には電気も付いておらず、そこには閑散とした雰囲気が漂っている。 『確か洗面所はこっちか。』 記憶の通りにそのいくつか宿泊室が並ぶだけの短い廊下を歩いた。静かだ。薄暗い廊下をいくらか歩くと、右手に目的地を見つけた。 蛇口がいくつか並んでいて、奥の方にはコイン式の洗濯機とタンブラがある。 夕は右側の壁にあるスイッチを押して電気を付けると、端から三番目の蛇口の前に立ち、その栓を適当に捻った。すると透明な水が勢いよく流れ出す。 しばらく水が流れるのを眺めて、夕はその水を両の掌で掬うと、バシャっと豪快に自分の顔にかけた。 何度かそれを繰り返し、次は洗面台に頭を突っ込んで、後頭部から水を浴びた。 その時、夕の後方で「うわ!」とも「いや!」ともつかない悲鳴が上がった。 夕は少し驚いた。だが、すぐに声でその悲鳴の主は分かったので、気にせず頭を流した。悲鳴の主も、しばらくすると、「なんだぁ、進藤か〜。」なんて失礼な事を言って、パタパタとスリッパを鳴らしながら夕の後ろを歩いて行った。 タオルで頭と顔を拭きながら洗濯機の方を覗くと、案の定そこではともよが洗濯物の取り込みをしているところだった。 「首が無いのかと思ってびっくりしちゃった。台で隠れてたんだもん。」 ともよはテキパキと作業をしながら、夕の方は見ないでそう言った。 「いや、俺の方がビビるよ。いきなり後ろの見えない所で悲鳴あげられんだぜ。」 夕のその呆れ気味に言った言葉に、ともよも「確かに。」と言って笑った。 「一、二年のマネージャーは?」 「まだ起きてこない。…マネージャーが選手と同じ時間まで寝ててどうするんだろうね。」 「言えばいいだろ。」 「こういうのは気付かないとダメなのよ。進藤だって知ってるでしょ?」 「…まぁな。」 「…なんだかこのまま引退するの、心配だな…。」 ともよは大量の洗濯ネットの入った洗濯籠を持って夕の前まで来た。確か昨日マネージャーが集めていた。 「…大丈夫だろ。二年の奴らがしっかりお前の事見てるよ。」 夕は今使ったタオルを首にかけながらそう言った。 「そうだと良いけど。」 ともよはため息をつきながら言う。 二年のマネージャー二人がばたばたとそこに入って来たのはその時だった。 「森口先輩すみません!寝坊しちゃって…。あ!わたし達やります!下さい!」 そう言ってともよの籠を奪って行った。ともよはキョトンとした目で夕を見る。 「…ほらな。」 夕はともよの目を見返して静かにそう言う。 ともよも小さく笑って「ホントだね。」と言った。 COPYRIGHT © 2009-2024 one. ALL RIGHTS RESERVED.
作者 one さんのコメント 半分 |