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水色の太陽 第5章 二


記事No.124  -  投稿者 : one  -  2009/09/19(土)23:04  -  [編集]
「ったく、お前はどっから沸いて出るんだよ。」
夕は呆れ気味そうに言った。
「だって先輩全然気付かないんすもん。どこまで近付いたら気付くかな〜と思いまして。」
足元まで行けました、と言って武人はケラケラと笑う。

二人は二走のコール場所に向かっていた。
競技場の外側を二人で並んで歩く。気の滅入りそうな湿気の中なぜか武人は上機嫌で、下手くそな口笛なんか吹いている。
あの後とりあえず武人を待たせて、淳との調整を済ませた。今度は目測が正しかったようで一度目で綺麗に合い、すぐに切り上げられた。その後すぐ武人がやってきて、「先輩一緒に行きましょ!」と言って来たからそれを了承したのだ。
夕は隣で踊るように歩く長身の男を、なるべく見ないようにずんずんと歩を進めた。
やはりなんとなく直視出来ない。なんだか直視してしまうと、喉の奥の辺りがむずむずして気持ちが悪いのだ。

「それにしても先輩さっきのスパイク、オニューでしたよね。こないだ欲しいって言ってた…、えっと〜…、なんとかって奴っすね!」
「サイバーステルス。なんだよ『なんとか』って。なんも分かってねぇじゃねーか。」
いきなりそんな事を言い出した武人に、夕は侮蔑の目を向けた。

それは以前店で見たシルバーとブラックの短距離専用のスパイク。値段は三万円近かった。あの時は手持ちが無くて買えなかったが、後で父親に頼んだらすんなりとお金を出してくれた。それをつい先週くらいに購入し、しっかり履き慣らしておいたのだ。カラーはユニフォームにピッタリだし、履き心地も値段相応。何よりデザインが格好良かったので夕はそのスパイクがとても気に入っていた。

「お前もこないだスパイク買ってただろ?あれ、どうなんだ?」
「いやー、ちょっと問題ありです。」
夕は何となしにそう聞いたが、武人は顔を曇らせてそう言う。
「問題?」
「先輩もあれ、幅が広いから靴ずれするかもって言ってたでしょ?…それが今ひどいんですよねぇ。」
「どこだよ。」
「コール場所でスパイク履き変える時に見せてあげますよ〜。」
上機嫌にそう答える。
終止笑顔を絶やさないその朗らかな表情は、夕にとって少し眩しい。

「なんか、暑くなって来たな。」

夕はそう言って顔を手で仰いだ。武人は「そっすかー?まだ涼しいですよ!」と言っていた。


そんな取り留めの無い話を続ける内に目的地に到着した。以前同様、女子のレースが始まりそうだ。
二人はトラック外のタータンに荷物を置くと、隣り合って腰をかけた。
胡座をかくと、膝が当たる。
何となく恥ずかしくて、夕は少し身体をずらした。武人は気に留める様子もなくトラックのそれぞれのレーンに整列する選手の方をじっと見ていた。
「やっぱりセパレートは良いっすねー!へそ出し!」
繰り出されるヘテロの反応。夕は内心少し落胆したが、いつものように適当に話を合わせる。
「そうだよな。しかもセパレート着てる奴は大体カワイイって相場は決まってるし。」
軽く笑いながら答えると、なぜか一瞬武人の顔が曇ったような気がしたが、すぐにまた笑顔になって「先輩も分かってますねぇ!」と言った。そして何か思い付いたように「そうそう。」と言いながら自分のシューズの靴紐を解くと、すぽっと自分の右足を抜いた。
「ちょっと見て下さいよ。」
白いローソックスを脱ぐと、小指の付け根の外側の部分にガーゼが貼ってある。結構でかい。
「痛いのか?」
「こうしておけばなんとかなりますけど、やっぱり無いに越したことはないっすねぇ…。」
「まぁ自業自得だな。適当に決めるのがわりい。」
夕はそう言ってランシャツを脱いで裸になった。そして自分の荷物の中からユニフォームを取り出す。
「あー、先輩ひどいっす!…てか…、やっぱ先輩の筋肉凄いっすねぇ。普段は細く見えるのに。」
そう言って武人はユニフォームを被ろうとする夕の二の腕を人差し指でつんつんと突く。何となく恥ずかしい。夕は黙ってユニフォームに首を通した。
「ねぇ先輩。」
「なんだよ。」
「腹筋触っても良いっすか?」 武人が突然変な事を言い出すので、また夕は呆れ顔を彼に向ける。
「俺の腹筋触ってなんか面白そう?」
「ちょっとだけ!記念に!」
奴はそう言って顔の前で手を合わせた。記念ってなんのだよと思いつつも、別に断る理由も無いので夕は「別に良いけど。」と言って了承した。
「やった!…そんじゃ、失礼しま〜す。」
武人の手が伸びて来て、夕の腹に触れる。そして縦横と動きだす。別に腹なんて触られても何も感じないが、なんか変な感じだ。武人はしきりに「すげぇ〜!」とか言いながら興奮していた。なんにしろ、端から見たら異様な光景である事に間違いはない。

「洗濯物洗えそうですね!」
武人がそんな事を言った時だった。一瞬、武人の指が夕の胸の突起を掠めた。その瞬間、夕の身体はビクンと跳ねた。
もちろん武人はその反応を見逃さなかった。

「え、今のなんすか!?」
武人の顔がにやけだす。夕は自分の顔にどんどん熱が集まって来るのが分かった。
「なんでもない。」
そう言って夕は顔を背ける。
「じゃ、もう一回やらせて下さい。」
「嫌だ。死ねバカ。終わり!もう終わり!」
夕はそう言うと武人の手を振り払ってユニフォームをすっかり着てしまった。
「あー!まさか先輩あれっすか!? 乳首感じるとか!」
「うるさい!死ね!てかお前それ以上なんか言ってみろ。金輪際口聞いてやんねぇからな!」
「アハハ!それは嫌っすね〜。」

実は夕は始めからハラハラしていたのだ。
夕は基本的に脇腹や首筋、足の裏など一般的に人が感じる部分は何も感じないのだが、唯一乳首だけは恐ろしい程に敏感だった。昔から自慰をする時にも触っていたのでその感度は尋常じゃなく、不意に触られようものなら今のように身体が反応してしまう。声だけは出さないように集中していたのでそれは防げたが、普段なら声が出てもおかしくない。
腹筋というから大丈夫かと思いきや、やはり嫌な予感は的中してしまった。

「いや〜、意外なところで先輩の弱点発見しちゃいました。」
武人は上機嫌に笑いながら自分もランシャツを脱ぐ。そこには既に水色のユニフォームを纏っていた。夕達のそれと比べると明らかにお粗末なユニフォームではあるが、その鮮やかな色は武人にとても似合っている。
その時ちょうど女子のレースが始まるアナウンスが鳴った。
「始まりますね!」
そう言って笑う武人の顔は、やはり少し眩しい。夕は少し顔をしかめて「ああ。」とだけ言った。



レースは滞りなく終了した。
懸念されていた前山とのバトンも完璧にはまだまだ程遠いがなんとか通って、それで予選は一位で通過。タイムは42秒後半だった。武人達も組で二位だったので決勝進出を決めていた。
夕は武人を待つ事なく走り終えたらさっさと自軍のテントに戻っていた。
なんだか武人と居ると自分のペースが保てない。


それからは午後の100m予選までずっと暇だった。夕はテントでごろごろしながらチームメイトと喋ったり、他の種目を見に行ったりして時間を潰した。
昼に向かうにつれてお盆状の競技場内の気温はどんどん上昇していき、たまに放送されるグラウンドコンディションでは五月の下旬にも関わらず気温は30度近く、湿度は90%を越えている。いよいよ夕の気分は消沈してきた。

大会の時、夕の昼ご飯はいつも蕎麦だ。蕎麦は消化が速く腹に残らない為、運動時には最適な食料である。
しかもこの不快指数の高さだ。流動食的な麺類でもなければ食べる気も起こらない。
夕は長距離の応援で賑わうメインスタンドの裏側にあたる通路に立てたテントで一人で寂しくその蕎麦を啜っていた。ここが一番涼しい。
夕はストレッチ用のマットを広げて、そこに胡座をかいて黙々と箸を動かしていた。クーラーボックスで十分に冷やされたそれは喉を通る度なんとも言えない爽快感を夕に与える。
近くを通る女達がしょっちゅう夕を見ながら耳打ちしあっていたが、夕はずっと気付かない振りをする。
『俺が一人で蕎麦食ってたらなんかおかしいのかよ。』
そんな半ば開き直りのようなことを考えていた。
その時、夕の隣にドサッと一つのスポーツバッグが投げられた。
驚いて顔を上げると、そこに立っていたのは見覚えのある人物だった。彼は夕と目が合うとニヤっと笑って「おっすゆーすけ!久しぶりやな!」と言った。夕もすぐに笑顔を見せて「来てくれたんですか?寺山さん。」と返した。

寺山恭介。
夕が一年だった頃のキャプテンをやっていた男だ。
種目は棒高跳びで、高校時は県内ではダントツ、近県統合大会でも優勝し、インターハイにも出場した程の選手だった。
猛勉強の果て関西のかなりの難関大学に進学し、それでも棒高は続けているらしく最近もインカレで良い成績を残している。
180cmを越える長身に色黒、筋肉質の身体にとてつもなく長い脚。昔からなぜか夕の事を『ゆーすけ』と呼ぶのは変わらない。
一年の頃からよく可愛がって貰っていて、夕もそれなりに尊敬し、慕ってもいた。

「さっきトミーの所に行ってたんやけどな、嬉しそうに喋っとったで!『進藤は優勝間違いなしだ』とかって。ホンマお前もよう伸びたわ。」
「いや、先輩の指導の賜物ですよ。」
夕はそう言ってアハハと笑った。
「何ゆうとんねん。お前が頑張ったからやで!」
恭介はそう言って夕の隣のスペースに腰掛けた。彼の関西訛りは去年からどんどん進行していって、今ではほぼ完全な関西弁になってしまっている。
「まぁ今はかなり調子良いんで、四冠狙ってくつもりですけどね。」
「っか〜!生意気な!」

しばらく話を続けていると、恭介が夕の後ろ側に移動して来て、脚で夕を囲むように座った。昔からよくこの体勢で座り込む事があって、かなりスキンシップが多い。

夕はなんとなく、恭介は自分の事が好きなのだろう、と思っていた。それは自意識過剰とかそんなものでは決してなく、証拠こそないが、夕はそう確信していた。そういえば恭介がまだキャプテンをしていた時、冬前に付き合っていた彼女とも確か別れていた。
夕も恭介の事は結構好きだった。特別イケメンと言うわけではないが、その常人離れしたスタイルの良さと褐色の肌には男として憧れを抱いていた。
それでも夕は何もしなかった。 その頃はまだ夕の心は『あいつ』で一杯で、新しい恋をすることを固く拒んでいたからだ。
そして今でも、その気持ちは固い。彼がいかに夕を誘惑しようと、夕の心は絶対に揺らがない。

この体勢になると夕は何も言わない。いや、何も言えなくなる。何かを言うと、何かが壊れてしまいそうで、恐くて何も言えなくなるのだ。
対して恭介は依然普通に話し続ける。たまに彼の手が夕の頭や太腿をなでてくる。
夕はただぼーっと恭介の話を聞いて、適当な相槌を打っていた。

しばらくそうしていたら、通路の奥に、また見覚えのある青いシャツの男が立っているのが目に入った。
武人だった。何も持たずに、一人だった。
武人は、なんだか淋しげな目をしてこちらを見ている、ような気がした。実際は遠くてよく分からない。

「あ!寺山さん、すいません!ちょっと…。」
何か話していた恭介を制止し、夕はそう言って彼の緩やかな拘束から抜け出した。
それからもう一度さっきの場所を見たが、…もう武人の姿は消えていた。
恭介が怪訝な顔で「ゆーすけ、どしたん?」と言っていたが、夕はそれに対する適当な相槌がなぜか思い浮かばなかった。

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作者  one  さんのコメント
やっぱりどうあっても二週間に一度くらいのペースでしか更新出来ませんね…。。
待ってて下さる方々には本当に申し訳ないです。
ワープロでばーっと打てると簡単なんですが。

それにしても、意外にこっちの方が人気っぽいですね!
じゃあ武人サイド書くの難しいので、もう夕サイド一本にしようかな…。
って、そんな事はしませんけど。練りに練った構想が崩壊しちゃいますし…。。

武人サイドのおかしな所は、個人的に武人のタメ語ですね。
作者のイメージとして武人は「〜っす!」っていう体育会系丁寧語がチャームポイントなので、彰とか辰巳とか香奈に対するタメ語は作者自身違和感を覚えているという…。
あいつらにも丁寧語使わせようか必死で悩んだんですが、まぁありえないのでやめましたけど。

そろそろお分かりかと思いますが、夕サイドでは陸上部を中心に、武人サイドでは日常や学校生活を中心に物語を展開しています。
その辺でも好き嫌い出てきそうですよね。
学校問題なんか取り上げる辺り、実はこれからも武人サイドの方が暗い話題になって行きます。
でも夕サイドではそういう事は絶対に出来ないんですよねー。
主人公が暗いのに話まで暗くしたらどうしようもなくなります。
まぁぼやきはこの辺にしときますね。


感想ありがとうございました!
いつも言いますが、とても励みになります。

あ、今回はプロフィール無しで…。

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