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ただそれを見ていた 七


記事No.52  -  投稿者 : Telecastic  -  2009/02/21(土)01:24  -  [編集]
 漆黒に染まっていく空に、焦げた赤い光が輪を作り、町全体を照らしていた。それは近隣の一軒家を隔ててこちらに降り注ぎ、叙情的な景観を作り出していた。秦汰は縁側に腰掛け、焦げ目がついた豆腐をつまみながらそれを見ていた。
 背後のリビングから漏れてくる光が、左の方で楽しそうにはしゃいでいる竜二達を映している。彼達の中心には、もくもくと黒煙を吐き出すコンロが置かれている。まるで三時間前に突然決まったバーベキューとは思えない程完璧な風景だった。
 結局、秦汰は晴樹の件を不問とする事にした。これ以上ごねても仕方ないし、晴樹の気を悪くする可能性もある。だが秦汰は、今になって、このルームシェアに参加した事を後悔しはじめていた。この家に来てまだ一週間程しか経っていないが、やはり多人数で生活を共にするのは面倒な部分が多く、特に竜二はあまりそういったパーソナルな部分に関しては無頓着である為、気苦労も多い。個人主義である秦汰にとって、苦痛となる出来事も多々あった。それに、問題はもう一つある。
「肉食べるか?」
 秦汰が小さく溜息をついていると、あまり楽しくなさそうに見えたのか、いつの間にか近くに来ていた武が皿の上に肉を持って立っていた。そのうちの何枚かを秦汰の皿に移す。秦汰は小さく微笑んだ。
「ありがとう」
 武はニッコリ微笑むと、秦汰の横に座った。
「こういうの、苦手?」
 武とは共感できる部分が多かった。この一週間、武と最も接点が多かった様に感じる。彼の価値観や行動理念に触れると、秦汰は安心する事が多い。彼もまた個人主義である事がひしひしと伝わってくるし、こちらが話したくない事やしたくない事は強要してこないし、踏み込んでこない。その上、こうしてこまめに気遣ってくれる。それに比べると自分は何て醜いのだろう、と劣等感を刺激されるのが苦痛なくらいだ。それと…
「俺もさ、昔は黙り込んで知らん振りしてたんだよ」
 武は時々、何を考えているのか分からなくなる。今の台詞が皮肉なのか、それともこちらを諭しているのか分かりかねた秦汰は、とりあえず相槌を打った。武は元々感情が表情に出る事がなく、いつもクールであった。声を荒げたり、怒りを露にした事は、たかが一週間だが見た事がないし、そういう事があるのか聞いてみたら、倫子や竜二でさえも「あまり記憶にない」と首を傾げていた。
 発言にも知性が溢れており、レトリックすぎる言葉の使いまわしに秦汰は混乱する事も多い。もしかしたら武は、俺の浅はかさを心の中で嘲笑っているのかもしれない。武と話しているとそうした不安が頭の中を渦巻いて、黙り込むことが多かった。今回もそういった流れになり、武はこちらが話しやすい様に、気軽な話題を出そうとしていた。
「すごいよな、竜二の奴。今日いきなり決めたバーベキューなのに、三時間くらいで五人も集めるんだぜ」
 コンロの周りには、竜二、倫子、晴樹の他に知らない顔がある。皆、竜二の友達らしい。男女入り乱れて、中には初対面同士もいるだろうが、お互い、まるでいつもの遊び仲間の様に溶け込んだ雰囲気を醸し出していた。確かに、竜二の人脈というか、人を集める能力には感嘆するものがあった。彼が一声かければ、すぐにでも色んな人間が集まってくる。その中で出会いがあり、恋をしたりもする。とても不思議だと思っていた。そういう所が、竜二の尊敬できる部分だった。
「俺なら、多分一人も集まらないよ。というかバーベキュー自体出来ないと思う、コンロないし」
 俺もそうだよ、と武が笑った。端整な顔立ちは暁の光を受けて、もっと美しく映えていた。秦汰は思わず見とれてしまった。
「ところでさ」
 武は思わず見とれた秦汰と見詰め合う形になり、真剣な眼差しで話題を変えた。秦汰は気を取り戻し、慌てて続きを促す。
「秦汰って、恋人とかいるの?」
 突拍子な話題に少し驚き、秦汰は聞き返してしまった。
「え?何、いきなり」
「いや、いるのかなぁと思って。」
 武は目線を逸らし、前を向いてそう淡々と呟く。なんというか、彼が恋愛トークを持ち出してくるのはあまり想像になく、秦汰は少し笑ってしまった。
「いないよ。今まで、出来たこともない」
「へぇ。もてそうなのになぁ」
 そりゃあ、告白されなかった事がない訳ではない。バレンタインデーに本命のチョコを貰った事もあった。しかし自分には、誰かと交際する事ができない原因が、大きく分けて二つあった。
「タイミングが悪いんだよ。すごく好きな人が居る時に他の女の子に言い寄られたりとか」
 それともう一つあるが、さすがにそこまでカミングアウトする気にはなれなかった。武はそれを聞くとふーん、と真面目な顔をして小刻みに頷いていた。
「確かに、恋愛ってタイミングが重要だしな。今は、好きな人とかいるのか?」
 秦汰は、それを聞くと一瞬、自然と視線が晴樹の方へいった。慌てて武の方を見て、首を横に振る。
「居ない、と思う。」
 この感情を好意だとするのはまだ早い。ただ「彼」の面影を重ねているだけという可能性もおおいにあるのだ。三年も前の事を未だに引きずっているのは、相当情けないが。
「思うって?」
 武はやはりそこに食いついてきた。秦汰は、あまり過去、特に初恋の話をしたくなかったが、武になら大丈夫だろうと考えて、ゆっくり口を開いた。
「今、何か初恋の人と重なる感じの人と出会っちゃってさ。結構、困ってる」
 武は今のが余程興味深い発言だったのか、詳しく話せと言わんばかりに更に食いついてきた。
「へぇ。それってどんな感じ?」
「なんていうのかなぁ、顔は、そんなに、っていうか全然似てないんだけど。でもなんか、仕草とか、話し方とか、性格とかがなんとなく似てるなぁって思って」
 秦汰はゆっくりと晴樹を見た。無邪気に笑いながら、豪快に肉を頬張っている。秦汰の胸がまた、大きく跳ね上がった。
「初恋ってどんなだったんだ?話してもいいのなら、是非聴きたいんだが」
 秦汰は少し悩んだ末、小さく頷いた。
「初恋は高校なんだ。これ言うと、皆に『遅すぎ』って笑われるんだけど。でも、本当に人を好きになったのって、思い返してみてもあの人しか居ないなって思うし。すごく好きだった」
 武は聞こえないくらいの相槌を打ち、続きを促した。本当に、彼は人の話を聞くのが上手い。秦汰は心の中に溜まったものを吐き出すかのように滔々と話し続けた。
「それで、一年から二年の時までは、クラスが別だったし、あんまり見かけなかったから、ちょっといいなって思ってるくらいだったんだけど。三年で同じクラスになって、話したりするようになってから、どんどん気になりだして、クラス替えが終わって一ヶ月も経たない内に、夢中になってた。本当に、自分でも制御できないくらい好きになってて、でも、その人には好きな人が居たんだ」
 秦汰は、口にしながらズキンと痛んだ胸を手で押さえた。やはりまだ、あの頃の事を思い出すと辛いものがあった。武はそんな秦汰の様子を見て、無理するなよと優しい言葉をかけた。
「本当に、俺がその人を好きなくらい、その人も相手のことが好きだったみたいで。俺は、ダメ元っていうか、思いだけは伝えたかったから告白したけど当然玉砕して。後は、二人が少しずつ仲良くなっていくのを、ただそれを見ていたんだ」
 まるで地獄だったよ、と付け足して、微笑んでみせた。勿論、当時は、こんな風に笑えなどしなかった。本当に自分は、今やっている舞台、「ただそれを見ていた」の王子にそっくりだ。王子をもし自分が演じる事ができるのなら、きっと秦汰は、観客を満足させる演技ができるのではないかと思っていた。それなのに、自分に与えられた配役は「兵士A」だ。自分と共感しうる部分をたくさん持つ王子を哀れむ、名前すらない兵士Aだ。秦汰は溜息をついた。隣で武が、感慨深い顔をしていた。
「…へぇ…そりゃ、きついもんだな。奪おうとかは考えなかったのか?」
「それは無理だよ」
 秦汰は即座にその可能性を打ち消した。
「俺、そういうことできるタイプじゃないし。苦手だから」
 武は、そうかもなと言って、静かに頷いてみせた。その横顔があまりにも真剣だったので、秦汰はなんだか気負いしてしまった。
「いや、もう大丈夫だよ。俺もうあんまり気にしてないし。もう終わった事だしさ」
 そういって茶化すのは、余計みっともなく映ってしまっただろうか。武は小さく微笑んだ。それから沈黙の時間が流れ、何か話題を出す元気もなかった秦汰は、晴樹の方を見た。
 問題はもう一つある。ここで暮らすのは、彼への想いを、募らせていく事になるのだ。自分でも理解できていた。このままでは俺は、大下 晴樹に恋をする。ここを出て行くべきだろうか。秦汰は一瞬そう考えたが、その考えはすぐに打ち消された。周りの事を考えても、一週間でここを出るのは非常識すぎる。それに、どうせ出て行ったところで、このもやもやが晴れていく訳ではない。もっと辛くなるだけだ。それならせめて、初恋の時の様にきちんと玉砕した方がまだマシだ。秦汰はそう考え、自分の感情にブレーキをかけるのをやめた。新しく炭をくべられたコンロに比例して、どんどんと火がつき、燃え盛り、膨れ上がっていく。秦汰は夕焼けと背後からの光に照らされた晴樹の笑顔を見ながら、ただそれを感じていた。

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作者  Telecastic  さんのコメント
バーベキューもできないこんな世の中じゃ、ぽいずん

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