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ただそれを見ていた 八


記事No.53  -  投稿者 : Telecastic  -  2009/02/22(日)16:31  -  [編集]
 秦汰の携帯メモリーは、一般的に考えても少ない方だ。更にそこから連絡を全く取らない、登録しただけの人間が居るわけだから、実質的に携帯はほぼ機能を果たしてないと言っていい。ただ、色々と便利なのと、かろうじて連絡を取っている人との交友関係を保つ為に保持している。仕送りを拒否した両親も、いざ連絡が取れないと困る為秦汰の携帯の料金だけは払ってくれていた。
「柊、元気?」
 かろうじて連絡を取っている内の一人である、柊 由希子が秦汰の携帯に電話をかけたのはつい二日前の事だ。彼女とは高校の頃からの付き合いで、秦汰の初恋を最も間近で見た(実際にそれに関する事件に巻き込まれた事もある)一人である。高校を卒業してからも連絡を取っているのは由希子くらいで、こうしてたまに一緒に食事をしていた。
「うん。そっちも、変わらなさそうだね」
 細身の体に小顔な為ひ弱な印象を持つが、喋り方や態度は凛としていて、芯の強さを感じさせる。彼女の透き通った声を聞くと秦汰は癒された。
「とりあえず、行こうか」
 秦汰は彼女を促すと、適当な飲食店を探してセンター街へと向かった。

 秦汰に金銭がないことを、彼女はよく理解している。本当に男としては情けないが、彼女と食事に行く時はもっぱらワリカンだった。それに、やはり顔が利く所の方がこっそりツケにできたりして、幾分情けなさを隠せる為、秦汰が彼女と食事をする場所は決まって「シャングリラ」であった。
 桐山がいれてくれた冷水の氷を転がしながら、秦汰は由希子を見た。彼女は、一般男性からすれば比較的非力な秦汰でさえも力を入れれば折れそうな程腕や足が細く、さもすれば不健康に見える程の細さだった。しかしそこはあまり触れてはいけない部分であると、なんとなく察知していて、いまだにその細さについて触れた事はない。由希子は小さく微笑むと桐山の方を向き、口を開いた。
「すいません、このエビのプリカッセっていうの、一つください」
 桐山はまるで道場に居るかのような気合の入った返事をして、早速調理を始める。秦汰は何か話題を出そうと、自分の近況について話す事にした。
「俺今、ルームシェアやってるんだ」
 それを聞くと、由希子は目を見開いて驚いた。
「御堂が?へぇ…まぁ、そのほうが経済的には、いいわよね」
 それでも自分の性格から考えてルームシェアには向いていないだろうと推察しているのか、由希子は小さく首を傾げていた。秦汰は当然むっとしたが、その通りなので何も言い返せない。
「うん。経済的には、大分楽になったよ。劇団からも、前の家より近いし。そうだ、柊も一緒に住まない?」
 秦汰は突然思いついた言葉を口にした。客観的にみればまるで竜二の様な行動だが、秦汰はこの発言がかなり現実的であると確信していた。
「私も?」
 由希子は、案の定きょとんとしている。いかにも何故?と言いたそうな表情だ。
「うん。柊、実家暮らしだから大学まで結構時間かかるじゃん。それに、家から出たいって言ってだろ。だったら、ルームシェアすれば、一人暮らしって訳でもないし、それに、柊の大学からもそんなに遠くない位置だし。」
 それに、もう一つある。この、既に胸を痛めつけはじめている晴樹への想いをいくらか軽減する事ができる。秦汰はまるでセールスの様に話を続けた。
「今、丁度一つだけ部屋が空いててさ。まぁ、女の子は一人しか居ないんだけど。でも、皆良い人だし、楽しいよ。個室だからプライバシーもあるし」
 実際には、竜二という存在がいる事によってプライバシーを侵害される事もあるが、まぁ由希子なら大丈夫だろうと秦汰は話す事を伏せた。さすがの竜二も、女性のプライバシーを侵害するほど無頓着な男ではない。
「それだけじゃないんでしょ?」
 由希子は秦汰のセールスを遮り、本心を見抜いた。秦汰はギクリとし、浮かびかかっていた腰を、深くおろした。
「まぁ、いいけど。確かに家はでたかったけど、一人暮らしは経済的にきついから。それに、御堂がどんな感じでルームシェアしてるのか、ちょっと気になるし」
 由希子はそう言って笑った。秦汰はそれを聞くと、机の下で小さくガッツポーズをして、小躍りしたくなる気分になった。
「じゃあ今度、皆に話しとくから。荷造りしといて」
 由希子は静かに頷く。それからは、他愛もない話をして、結局家に着いたのは夜の十時を過ぎていた。

 家に着くと、丁度風呂上りだったのか、リビングで涼んでいた倫子がこちらに顔を出した。
「おかえり!」
 湿った髪が胸の辺りまで降りていて、艶かしい輝きを放っていた。肌が赤みがかっていて、露になっている腕から薄い蒸気があがっている。倫子はぼーっとそれをみていた秦汰の腕をつかむと、おもむろにリビングへと引っ張った。テーブルには、缶ビールとスーパーから買ってきたらしきピザが置いてある。
「丁度よかった、今から風呂上りに一杯やろうと思っててさ。ピザ焼くから座ってよ」
 倫子はそういうと、こちらの返答も待たずにピザを持ってキッチンへと向かった。秦汰は仕方なくソファーに腰を下ろし、缶ビールのプルタブをあけた。10分程ちびちびやっていたら、倫子が焼きあがったピザと、レタスと生ハムのサラダを持ってやってきた。それからオレンジのソファーに腰を下ろして、いただきます!と元気いっぱいに言った。
「どう?ここ。もう慣れた?」
「うん、まあね」
 秦汰は由希子の件をいつ切り出そうか悩んだが、どうせなら全員が揃っている時がいいと考え、まだ伏せておく事にした。
「秦汰君ってさ」
 いつの間にか御堂君から秦汰君に格上げされている。倫子は気づいているのかいないのか、神妙な顔で話を続けた。
「あんまり、こういうの好きじゃなさそうだよね」
 秦汰はどきりとした。思わず大きく頷きかけたが、嫌いな訳ではない。秦汰は、とりあえず空気を悪くしない様に微笑んだ。
「確かに、あんまり得意ではない…かな。でも、一人暮らししている時よりは、充実してると思うし」
「うん、そうだよね。皆で暮らした方が、色々あって、生きてるって感じするよね」
 倫子が真面目な顔をして、感慨深い事を言うものだから、秦汰は反応に困ってしまった。倫子はそんな秦汰を気にも留めずに、複雑な表情で缶ビールを注ぎ込んだ。
「それにさ」
 かと思ったら、今度はにやにやと笑い、茶目っ気のある口調で喋りだす。
「竜二、本当に器量良しの知り合い多いよね。ここにつれてくるの、まじでイケメンばっかりだもん。特に、大下君!」
 秦汰の胸が跳ね上がる。
「彼、私が今まで見た中でも、かなり上いくよ。今までは冗談だったけど、ちょっと、本気で狙ってみよっかな〜」
 秦汰は想いを悟られない様に笑い、それもいいんじゃない、とだけ言った。だが秦汰の胸の中には、確実に黒い感情が蠢いていた。晴樹の顔が頭に浮かぶ。胸が軋んだ。なんだろう、この感情は。初恋の苦しみと、同じ道を歩んでいる。結局自分はまだ、この連鎖から抜け出せていないんだ。秦汰は絶望した。溜息をついて、机に突っ伏す。
「……吐き出せば?」
 倫子が小さく呟いた。秦汰は顔を上げる。倫子はあらぬ方向を見つめていた。その横顔が、あまりにも真剣なもので、秦汰は言葉を失った。
「まだ、一ヶ月くらいしか一緒に暮らしてないけどさ。秦汰君が色んなものを溜め込んでるのは分かるよ。一人で何でもかんでも抱え込もうとしてるのを、すごく感じる」
 倫子はまるで自分の事のように秦汰の気持ちを代弁した。彼女もまた、そういった経験があるのだろうか。
「でもそれってきついよね。一人で戦うのって、しんどいよね。その為に、ルームシェアしてるんじゃないかなって思うんだよ、私。やっぱり、家って、疲れを癒したりする場所だと思うから」
 秦汰は小さく頷いた。だが、話すわけにはいかないと思った。秦汰にとって感情を吐露するという事は、最も恐ろしいことだ。
「うん。そうかもしれない…。でも、俺は大丈夫だよ。本当に抱えきれなくなったら、話したいなぁって思うし」
 倫子は返事をしなかった。それから、奇妙な沈黙が流れた。でもそれが秦汰にとっては心地よく、発言を必要としないこの空間を楽しんでさえいた。時間がゆっくりと過ぎていく。
 倫子は誰にも言えない傷を抱えているのかもしれない。秦汰はやがてそう思い始めた。SOSを出しているのは倫子なのではないかと。だが、秦汰はそのシグナルについて触れることはしなかった。人の心の奥に入り込む事は、秦汰にとって不可能に近い行為だ。開きたい時に、触れてほしい時にいつでも頼ってほしい。それなら、出来る限り力になれる。そう思って生きてきたら、いつの間にか秦汰の周りの人間は離れていっていた。誰といても、何をしていても秦汰の心に存在していた空虚感は、今もまだ秦汰の心の中心に腰をおろしていて、時折大きく揺らしてみせた。秦汰は目を閉じる。こうして孤独を感じる時は、決まって涙が流れそうになる。秦汰は堪えた。倫子の前で、いや、他人の前で涙を流すのは、高校の時にもうしないと決めた。だがその思いに反して、秦汰の目頭は熱くなり、じわりと瞼が湿り始めていた。腕の辺りがぴりぴりと痺れる。このままではまずい、何か話題を出そうと倫子をみた。倫子は手に顎をのせて、まだあらぬ方向を見つめていた。倫子の頬に、一筋の雫が伝っていた。

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作者  Telecastic  さんのコメント
助けを求めるのは悪い事ではないわ

コメントくれた人へ
秦汰は自分が世界で一番不幸だと思っているおこちゃまなので、大目にみてあげてください。
コメントありらとう

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